聖書は本当に神の言葉ですか。



聖書は神の言葉として広く知られてきました。
しかし本当に神の言葉であると言えますか。その証拠を考えてみましょう。

もし神の言葉であるとするならば次の点が言えるのではないでしょうか。

1,聖書は人類史の初期から書き継がれてきた。
    もし神が存在するとすれば、人類の初期から導きや教えを与えてきたに違いありません。

2,聖書は終始一貫している。
    神によって導かれ書かれたのであれば、幾千年経っていたとしても、終始一貫していると言えるのではないでしょうか。

3,科学的にも正確
    聖書は地理的、歴史的に正確であるだけでなく、科学的な面でも正確と言えるはずです。科学の発達した今日の目から見て聖書は科学的でしょうか。

4,道徳的、倫理的に優れ、いつの時代にも有益な指針を与えている。
    もし神からの本であるとするならば、私たちを正しい道に導く物であるはずです。聖書はいつの時代にも通じる知恵の書でしょうか。

5,今日でも広く頒布されている。
    神からの物であるならば、今日に至るまで正しく伝わり、また広く頒布され、読まれていると期待できるのではないでしょうか。

6,神にしか書けない事実が記されている。
    紙幣に透かし模様など本物と認定される印があるように、神からの本には神にしか書けない事実が含まれている可能性があります。ではそのような印が聖書にあるでしょうか。


ではそのような6つの点について考えてみましょう。

1,聖書は人類史の初期から書き継がれてきた。


聖書は人類史の初期から書き継がれてきたといえるでしょうか?
歴史上の記録は確かに人類史の初期から与えられてきたことを示しています。

聖書は創世記と呼ばれる書物から始まっています。 
創世記はモーセによって、前1500年頃、それ以前の書を編集することによって成立しました。
その中には、アダムの歴史やノアの歴史に言及されており、人類史の初期から神と人との交流があり、その記録が保存されていたことをうかがい知ることが出来ます。

その後、様々な歴史書、詩編、格言、預言書などが書き記されていきました。

イエス・キリストが誕生した後、イエスが神によって約束されていた救い主(メシア・キリスト)であることを証しする伝記や、弟子たちの手紙、そして最後にヨハネによる預言の書によって聖書は西暦100年頃完成しました。
 
創世記が書き始められてから、最後の啓示の書が完成するまで実に1600年以上の期間を要しています。
首尾一貫して神が人類に導きを与え指導してきたことを知ることが出来るのではないでしょうか。


2,聖書は終始一貫している。

聖書は書き始められてから完成するまで1600年ほどの期間が経過しています。
もし今の日本で完成したと仮定するならば、400年頃の巨大古墳が作られた古墳時代に書き始められたことになります。
そして奈良時代、平安時代、鎌倉・室町・戦国・江戸時代などを経て今日完成したとするならば、どうでしょうか。その書物が一貫しているなど想像も出来ません。ではそのような長期間に渡って書き継がれてきた聖書が、最初から最後まで調和しているなどと言うことがあり得るでしょうか。

なんと聖書は驚くべきことに首尾一貫しており、一つのテーマで貫かれているのです。
その一つのテーマとは人類を救う手段に関する事柄です。

創世記の中には「サタンである蛇」によって人類が惑わされ罪に至った状況が書かれています。 
その時、神は人類を救うための手立てとして「女の胤」が登場することを約束されました。
人類を救う「女の胤」は長年、謎でしたがその約束が語られてから2000年後、アブラハムが登場します。
アブラハムに対して神は次の約束をされます。
「あなたの胤によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」 (創22:18)
「女の胤」はその後、アブラハムの子であるイサクや、ヤコブ、ユダなどの家系を経て、ダビデ王の子孫として生まれることが次のように示されました。
「わたし(神)は、あなた(ダビデ)の身から出る世継ぎの子(つまり女の胤)を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」 (サムエルA7:12,13)
その約束が語られてから約1000年後、メシアつまりイエス・キリストが歴史の舞台に登場したのです。
イエスがまさに約束のメシアであったことを、弟子たちは新約聖書の中で立証しています。
 聖書最後の書である啓示の中で、イエスは最終的に人類を惑わした敵対者「初めからの蛇、サタン」を打ち砕き、神の目的を達成することが示されています。

聖書は1600年以上書き継がれてきたにも関わらず、最初から最後まで一つのテーマによって貫かれ、首尾一貫している驚くべき書物であると言えます。
まさに神によって導かれ書かれた書物であると言えるのではないでしょうか。



3,科学的にも正確

聖書ははるか古代から書き継がれてきました。その当時の科学的な知識は今日と比べると貧弱であったことは否めません。
しかし驚くべきことに、聖書は20世紀になって明らかになった科学的事実をすでに記していたのです。
そのいくつかを取り上げてみましょう。

@宇宙に始まりがあった。
この事実が明らかになったのは20世紀になってからです。
それまで多くの人は宇宙は不滅で永遠の過去から存在していたと考えていました。
しかしハッブルの観測やアインシュタインの相対性理論などから宇宙に始まりがあったことが明らかになりました。
宇宙を始まり付ける出来事である「ビッグバン」は、驚くべき精密さでなされた大爆発であったことが科学的事実として受け入れられています。

聖書はその事実を次のように述べていました。
「初めに、神は天と地を創造された。」 (創世記1:1)

ハッブル宇宙望遠鏡によってさらに多くの事実が明らかになった。

A宇宙は膨張している。
優れた望遠鏡の観測などによって宇宙が膨張していることが明らかになりました。
聖書はその事実を次のように述べていました。
「(神)は北をむなしい所の上に張り伸ばし、地を無の上に掛けておられる。」 (ヨブ26:7)
「地球の上に住む方がおられ,[地]に住む者たちは,ばったのようである。その方は天を目の細かい薄織りのように張り伸ばしておられ,それをその中に住むための天幕のように広げられる。」(イザヤ40:22-26)
「張り伸ばし」と言う表現が聖書の中で幾度か言及されています。今、今日も宇宙は非常なスピードで膨張していると言われています。

B宇宙もいつか終焉する。
そのことを詩編作者は次のように語っています。
「天はあなたのみ手の業です。
それらのものは滅びうせますが,あなたご自身は立ちつづけます。
それは衣のようにみな古びてしまいます。
あなたは衣服のようにそれを取り替えられます。そしてそれは用を終えるのです。」 (詩編102:25.26)

C物質の源はエネルギーつまり力である。
アインシュタインによって物質はエネルギーに変換し、逆もまた真であることがしめされました。
いみじくも聖書は次のように語っていたのです。
「あなた方の目を高く上げて(星々を)見よ。だれがこれらのものを創造したのか。それは,その軍勢を数によって引き出しておられる方であり,その方はそれらすべてを名によって呼ばれる。
満ちあふれる活動力のゆえに,その方はまた力が強く,[それらの]一つとして欠けてはいない。」 (イザヤ40:22-26)

D生命の設計図つまりDNAの発見。
1953年にはじめて生命の設計図であるDNAの2重らせん構造が発表されました。
しかし聖書は今から3000年以上前に、次のように述べて生命の設計図があることを示していたのです。
「わたしはあなたをたたえます。なぜなら,わたしは畏怖の念を起こさせるまでにくすしく造られているからです。
あなたの目は胎児のときのわたしをもご覧になりました。
あなたの書にそのすべての部分が書き記されていました。
−−しかも,それらのうちの一つもまだなかったのに。」 (詩編139:14-16)


遺伝子DNA 生命の設計図 実に驚くべき仕組みがそこにある。

他に20世紀以前に知られていることであっても興味深い科学的事実が語られています。
E水の循環
「すべての流れは海へ注ぐが,海はあふれることがない。その流れが出た所に戻って行き,また再び流れ出る」 (伝道の書 1:7)

F地下の様子 マグマに言及
「地そのものは、そこから食物を出すが、その下は火のように沸き返っている。」(ヨブ28:5)


G衛生
隔離 「その災厄(癩病)が身にある日の間いつも,彼は汚れた者である。彼は汚れた者であって,他から離れて住むべきである。宿営の外がその住むべき所となる」。(レビ記 13:46)
清潔 「外でかがむ時には穴を掘り,向き直って自分の糞便を土で覆うようにしなければならない」(申命記 23:12,13)

H死後の状態
「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識もなく,彼らはもはや報いを受けることもない。なぜなら,彼らの記憶は忘れ去られたからである。」(伝道 9:5)

I地球が球体であり宇宙に浮かんでいる。
「(神)は北をむなしい所の上に張り伸ばし、地を無の上に掛けておられる。」 (ヨブ26:7)
「地球の上に住む方がおられ,[地]に住む者たちは,ばったのようである。」(イザヤ40:22)

J地球が猛スピードで宇宙を移動しているが誰も気付かない。
「 山々は移動しているが,人々は気付かない。」 (ヨブ9:5)
地球は、時速1,600kmで自転しながら、太陽の周りを時速10万kmで公転しており、銀河系の軌道を時速85万kmで公転し、銀河系は膨張する宇宙に乗るかたちで、秒速630km(時速約216万km)の速度で移動していると考えられている。
しかし誰もそれほどの速度で移動しているとは思わない。

4,道徳的、倫理的に優れ、いつの時代にも有益な指針を与えている。

聖書は道徳的、倫理的に優れた書物であることは言うまでもありません。
「愛」と「平和」と「義」を推し進めていることは明らかです。
しかもその愛は敵にまで及ぶ比類のないものです。
そのことをイエスは山上の垂訓の中で明らかにして次のように語られました。
「 しかし,わたしはあなた方に言いますが,あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい。 それは,あなた方が天におられるあなた方の父の子であることを示すためです。[父]は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ,義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださるのです。」(マタイ5:44,45)
インドの聖人マハトマ・ガンジーはイエスの「敵を愛する」という教えに非常に感銘し、他の宗教には見られない教えであり、真の平和を確立する教えであることを述べています。

確かに聖書の諭しを当てはめるなら、家庭生活や人間関係などの改善につながることは明らかです。

5,今日でも広く頒布されている。
聖書は隠れたベストセラーとして知られています。
2015年度で 全世界で3400万冊頒布されたと言われています。

翻訳された言語数は2500を超えており、年々その言語数は増えています。

この日本でも年間 20万冊以上頒布されています。

聖書を抹殺しようとした歴史があるにも関わらず、また古代に書かれた書物であるにも関わらず、ベストセラーとして君臨しているのはなぜでしょうか。

聖書自身その秘密を次のように述べています。
「草は枯れ,花はしぼむ。しかし,わたしたちの神の言葉は永久に存続する」(イザヤ 40:8)


6,神にしか書けない事実が記されている。

神にしか書けない事実とは何でしょうか。

一つは予言です。つまりまだ起きていない出来事を前もって告げることです。聖書はそのような予言で満ちています。

有名な例は、創世記の冒頭で示された人類の救い主、つまりメシアに関する予言です。 メシアの家系に関する予言、生まれる時期と場所に関する予言、死と復活に関する予言など多岐にわたっています。
たとえばイエスが刑柱上で死に渡されることを、イエスが生まれる750年ほど前に預言者イザヤによって次のように予告されました。
「 彼(メシア・キリスト)はさげすまれ,人々に避けられ,痛みと病を親しく知ることとに定められた人であった。そして,わたしたちから顔を覆い隠すことがなされているかのようであった。彼はさげすまれ,わたしたちは彼を取るに足りない者とみなした。 まことに,わたしたちの病は彼が担い,わたしたちの痛みは彼が負ったのである。しかし,わたしたちは彼を災厄に遭い,神に撃たれ,苦しみを受けた者とみなした。 しかし,彼はわたしたちの違犯のために刺し通され,わたしたちのとがのために打ち砕かれるのであった。わたしたちの平安のための懲罰が彼に臨み,彼の傷ゆえにわたしたちのためのいやしがあった。 わたしたちは羊のように皆さまよい,それぞれ自分の道に向かった。エホバは,わたしたちすべての者のとががその者に出会うようにされた。 彼は激しい圧迫を受け,苦しめられるままに任せていた。彼はそれでも口を開こうとはしなかった。彼はほふり場に向かう羊のように連れて行かれ,毛を刈る者たちの前で黙っている雌羊のように,自分も口を開こうとはしなかった。
拘束と裁きのゆえに彼は取り去られた。だれが彼の世代[の詳細]を思いに留めるだろうか。彼は生ける者たちの地から断たれたからである。彼はわたしの民の違犯のゆえにむち打たれた。 そして,暴虐を行なったこともなく,その口に欺きがなかったにもかかわらず,彼は自分の埋葬所を邪悪な者たちと共にし,死に際しては富んだ階級の者と共になった。」 (イザヤ53:3-9)
この預言は事細かな点に至るまで成就しました。

また王国の興亡、都市の滅亡、特定の人物の登場など多方面にわたる予言もあります。
時にはその予言の成就が幾百年先あるいは幾千年先のものもあるのです。

たとえば 有名な古代都市で難攻不落を誇ったバビロンの興亡に関する預言はとりわけ詳細に予告されました。
そのいくつかを見てみると、
@征服者の名が予め示されていた。


「エホバは,その油そそがれた者キュロスにこのように言われた。わたしはその右手を取った。それは,彼の前に諸国の民を従えるため,わたしが王たちの腰の帯を解くためである。彼の前に二枚扉を開いて,門が閉じられないようにするためである。 「わたし自らあなたの前を行き,地盤の高みをまっすぐにする。わたしは銅の扉を粉々に砕き,鉄のかんぬきを切り落とす。 そして,わたしは闇の中の財宝と,隠れ場所の隠された財宝とをあなたに与える。それは,わたしが[あなたを]あなたの名によって呼ぶ者,イスラエルの神,エホバであることをあなたが知るためである。 わたしの僕ヤコブとわたしの選んだ者イスラエルのために,わたしはあなたをあなたの名によって呼ぶようになった。あなたはわたしを知らなかったが,わたしはあなたに誉れある名を与えるようになった。」 (イザヤ45:1-4)
ここではキュロスという名があげられているが、実際、前539年にバビロンを滅ぼしたメディア・ペルシャの王はキュロスであった。

A攻略方法が語られていた。
「水の深みに,『蒸発せよ。わたしはあなたのすべての川を干上がらせるであろう』と言う者, キュロスについて[このように]言う者,『彼はわたしの牧者であり,わたしの喜ぶことをすべて完全に成し遂げるであろう』と。すなわち,エルサレムについて,『彼女は建て直されるであろう』,神殿について,『あなたはその基を据えられるであろう』と言う[わたしの]ことばをも」。」(イザヤ44:27.28)

「彼女の水の上には荒廃があり,それは必ず干上がる。……バビロンの力ある者たちは戦うことをやめた。彼らは強固な場所に座りつづけた。その力強さは枯れた」― エレミヤ 50:38; 51:30。
バビロンはユーフラテス川を引き込み、深い堀で守られていたが、キュロスはユーフラテス川の流れを変えることによって、川を干上がらせることによって堀から侵入することが出来ました。まさに聖書の預言通りであったことが分かります。イスラエルの民はバビロンに捕らわれていましたが、キュロスによって解放され故国に帰ることも出来ました。

B宴会の時に攻撃され、一夜にして倒れることについても予告されていた。
 「突然バビロンは倒れ,砕かれた。」   (エレミヤ51:8)
「彼らが熱せられるとき,わたしはその宴会を設け,彼らを酔わせて,歓喜させる。彼らは必ず定めなく続く眠りに入り,それから覚めることはない」と,エホバはお告げになる。 「わたしは彼らを,ほふり場に向かう雄の羊のように,雄やぎと共に雄羊のように下らせる」。 (エレミヤ 51:39)
この予告通りバビロンは、大宴会が催されていた時、メディア・ペルシャ軍が侵攻し一夜で攻略されたのです。驚くべき成就ではないでしょうか。

Cバビロンは最終的に人の住まないところとなる。

「いまわたしは彼らに対してメディア人を奮い起こさせる。……そして,もろもろの王国の飾り,カルデア人の誇りの美であるバビロンは,神がソドムとゴモラを覆されたときのようになるのである。彼女は決して人の住む所とはならず,また,彼女が代々にわたって住むこともない」― イザヤ 13:17‐20
バビロン復興の計画は幾度かあったが実現せず今日も荒廃したままです。


今日のバビロン 復興計画はあったがいまだに荒廃したままである。

聖書自身 聖書がまさしく神の言葉であると次のように述べています。

「 あなたがたは主(ヤハウェ)の書をつまびらかにたずねて、これを読め。これらのものは一つも欠けることなく、また一つもその連れ合いを欠くものはない。これは主(ヤハウェ)の口がこれを命じ、その霊が彼らを集められたからである。」    (イザヤ 34:16)

「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」   (テモテA3:16)

「 主(ヤハウェ)の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。
草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」。  (イザヤ 40:7.8)
聖書とは何か  聖書は神の言葉ですか   聖書を読む  聖書の知恵 
神とは何か  神の存在の証拠  神の目的 
メシアとは誰か  メシアに至る道筋  メシアの死  メシアの死の意義  復活−その証拠 
イエスの生涯  イエスの奇跡  イエスの教え  イエスのたとえ話  4福音書対照
預言とは何か  メシアに関する預言  バビロンに関する預言  王国興亡の預言  イエスの預言  終わりの日の預言  千年王国 
あなたと聖書