イエスの生涯



最初に創造された霊者

イエスは単なる人間ではありませんでした。

イエスは人間として誕生する前に、天で霊者として存在していました。
しかもヤハウェが最初に創造された「言葉」あるいは「代弁者」「知恵」として存在していました。

そのことが箴言の書の中でイエスは「知恵」として表され次のように言い表されています。

8:22 主(ヤハウェ)が昔そのわざをなし始められるとき、そのわざの初めとして、わたし(イエス・知恵)を造られた。
8:23 いにしえ、地のなかった時、初めに、わたしは立てられた。
8:24 まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、わたしはすでに生れ、
8:25 山もまだ定められず、丘もまだなかった時、わたしはすでに生れた。
8:26 すなわち神がまだ地をも野をも、地のちりのもとをも造られなかった時である。
8:27 彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。
8:28 彼が上に空を堅く立たせ、淵の泉をつよく定め、
8:29 海にその限界をたて、水にその岸を越えないようにし、また地の基を定められたとき、
8:30 わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、
8:31 その地で楽しみ、また世の人を喜んだ。
8:32 それゆえ、子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの道を守る者はさいわいである。
8:33 教訓を聞いて、知恵を得よ、これを捨ててはならない。
8:34 わたしの言うことを聞き、日々わたしの門のかたわらでうかがい、わたしの戸口の柱のわきで待つ人はさいわいである。
8:35 それは、わたしを得る者は命を得、主から恵みを得るからである。
8:36 わたしを失う者は自分の命をそこなう、すべてわたしを憎む者は死を愛する者である」。
                 (箴言 8:22-36)

ヨハネの福音書の中でも「言葉」として表され次のように語られました。

1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は初めに神と共にあった。
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
            (ヨハネ 1:1-3)

イエス自身も次のように語っています。

  天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。 (ヨハネ 3:13)

  イエスは彼らに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」。
        (ヨハネ 8:58)
         

ではなぜ地に来ることになったのでしょうか。

それは天におられた時、イエスの忠誠に関する論争が持ち上がったためです。

ではどうしてそのような問題が浮上したのでしょうか。

イエスの後、非常に多くの天使が創造されます。
その中にひときわ優れた能力を持った霊者が生まれました。

しかし彼はその能力の故に誇り高ぶり、イエスに敵対しイエスを追い落とそうとたくらんだのです。

そのことがエゼキエル書の中でティルスの王にたとえてその霊者つまりサタンに言及しています。

28:12 「人の子よ、ティルスの王のために悲しみの歌をのべて、これに言え。主なる神ヤハウェはこう言われる、あなたは知恵に満ち、美のきわみである完全な印である。
28:13 あなたは神の園エデンにあって、もろもろの宝石が、あなたをおおっていた。すなわち赤めのう、黄玉、青玉、貴かんらん石、緑柱石、縞めのう、サファイヤ、ざくろ石、エメラルド。そしてあなたの象眼も彫刻も金でなされた。これらはあなたの造られた日に、あなたのために備えられた。
28:14 わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた。あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。
28:15 あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日まではそのおこないが完全であった。
28:16 あなたの商売が盛んになると、あなたの中に暴虐が満ちて、あなたは罪を犯した。それゆえ、わたしはあなたを神の山から汚れたものとして投げ出し、守護のケルブはあなたを火の石の間から追い出した。
28:17 あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に置いて見せ物とした。
28:18 あなたは不正な交易をして犯した多くの罪によってあなたの聖所を汚したゆえ、わたしはあなたの中から火を出してあなたを焼き、あなたを見るすべての者の前であなたを地の上の灰とした。
28:19 もろもろの民のうちであなたを知る者は皆あなたについて驚く。あなたは恐るべき終りを遂げ、永遠にうせはてる」。
               (エゼキエル 28:12-19)

サタンの本性はヨブ記の中でも次のように表されています。

サタンは地上にいた忠誠の人ヨブに異議を唱え次のように中傷したのです。

1:9 サタンは主に答えて言った、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
1:10 あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。
1:11 しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
                       (ヨブ 1:9-11)

サタンはヨブの全ての財産を奪っただけでなく、全ての子供たちの命をさえ奪い取ります。
それでもヨブは「神は与え、取りたもう」と語り、神に忠節に従い続けます。
それでもサタンはあきらめず、ヨブの忠誠に異を唱え、さらなる試練を与えることを求めます。

2:3 主はサタンに言われた、「あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは、わたしを勧めて、ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした」。
2:4 サタンは主に答えて言った、「皮には皮をもってします。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。
2:5 しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
                                    (ヨブ 2:3-5)

サタンはヨブでさえ「命が危うくなるなら神を呪うであろう」と主張し、ヨブの忠誠に異議を唱えたのです。
しかしサタンの真の標的はヨブのような人間ではありません。創造の初めであるイエスこそ真のターゲットでした。
サタンはイエスを失脚させ、イエスが占めていた地位、つまり神に次ぐものという立場を奪おうとしたのです。

ですからイエスが地上に来て命を捨てるまで神に忠誠を尽くすことによってのみ、その論争を決着させることが出来たのです。

人間としての生涯

イエスはマリアの体内に入り人間として誕生します。

30歳まで大工として働き父ヨセフが亡くなった後は、弟や妹の面倒を見ていました。
30歳の時、バプテストのヨハネからバプテスマ(浸礼)を受けた時、天からはとのように聖霊が下り、メシアとして誕生し歴史の表舞台に登場することになります。

40日間荒野で試練と訓練を受け、イスラエルの民に福音を述べ伝えます。
その後の活躍はめざましいものでした。
多くの病人を癒やし、悪霊に憑かれた人を解放し、盲人や耳の聞こえない人をいやしました。

3年半の活動の後、刑柱上の死に処されます。

詳細は 4福音書対照 をご覧下さい。

刑柱上の死の後、何が起きたのでしょうか。

霊者としての復活

真の命への復活が生じました。
40日間、弟子たちに現れた後、天に昇って行かれました。

その後はどのような立場になったのでしょうか。
神の王国の王として、また大祭司として神に次ぐ地位に立ったのです。

しかも以前持っていた栄光より、さらに勝った栄光が与えられることになったのです。

聖書ははっきりと次のように述べています。

2:8 (イエスは)おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
2:9 それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。
2:10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、
2:11 また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。
                (フィリピ 2:8-11)

神は力を用いてキリストを生き返らせ,天でご自分の右に座らせました。 その地位は,今の体制だけでなくこれから来る体制においても,どんな政府や権威や力や統治権や名よりはるかに勝っています。 神はまた,キリストを全てのものの上に立たせ,会衆に関する全ての事柄を見守る頭としました。 会衆はキリストの体であり,全てのものを完全に満たすキリストが満ちています。  (エフェソス1:20-23)

また大祭司として人類に仕えることが次のように記されています。

キリストは,地上で生きていた間,自分を死から救える方に祈願を捧げ,願いを伝えました。大きな声で叫び,涙を流しながらそのようにし,神への畏れゆえに聞き入れられました。 キリストは神の子であったにもかかわらず,苦しんだ事柄から従順を学びました。 そして,完全にされた後,自分に従う人全てに永遠の救いをもたらす方になりました。 神により,メルキゼデクのような大祭司に指名されたからです。
                 (ヘブライ 5:7-10)

詩編の中でもこのように述べています。

エホバは私の主に告げた。
「私の右に座っていなさい。
私があなたの敵たちをあなたの足台として置くまで」。
エホバは,権威ある王笏を持つあなたをシオンから送り出して言う。
「あなたの敵の中に入っていき,敵を征服しなさい」。
           (詩編 110:1.2)

メシアとして、王としてまもなく到来されることが聖書の中で約束されています。

イエスは千年王国の王として統治し、人類に覆い被さっている罪と死を取り除かれます。
最初の人類が持っていた完全さへと人類を引き上げていきます。
それだけではありません。墓に眠っている大勢の人を復活させます。

ある人々は天に復活させられ、イエスとともに副次的な統治者になることが示唆されています。

このようにイエスの生涯を 天 地上 再び天 と言うように3期に分けることが出来ます。
とりわけイエスにとって重要だったのはこの地上の期間だったかもしれません。
まさに死に至るまで忠誠が求められ、耐えがたい試練を耐え忍んだのです。
私たちはその偉大な愛に感謝できるのではないでしょうか。

アブラハムがイサクを捧げた場面を思い出して下さい。
偉大なる神ヤハウェが独り子イエスを人類のために捧げたことを表していたのです。


アブラハムがイサクを捧げたように、偉大な神ヤハウェは独り子イエスを人類を救うために捧げた。

何という偉大な愛でしょう。私たちは本当に取るに足りない塵芥のような存在ですが、そのために多大な犠牲を払って下さったのです。

3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
3:17 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
                   (ヨハネ 3:16.17)









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