復活 本当にありますか?



愛する人の死 真の慰めがありますか。

愛する人が亡くなる これほど悲しい現実はありません。
愛する人ともう会うことが出来ない 愛する人のほほえみを見ることも、ぬくもりを感じることも、声を聞くことも出来ない。それを考えるだけでも胸が張り裂けそうになります。

しかし愛する人といつかは別れなければなりません。

そしてこの瞬間にも世界各地で多くの人が死別の涙を流しています。

多くの人にとって死別は癒しがたい傷を与えるものです。

そのため宗教は癒しを与えるために死後の命の希望を語ってきました。また厳粛な葬送の儀式を行うことによって、また死者を思い起こす行事を定期的に行うことによって人々の心を慰めてきました。

しかし科学が発達してきた今日、多くの人は死後の命は非科学的であるとしてその希望は信じることが出来ないと感じています。
確かに死後も魂が生き続けている証拠を科学者は見いだしていません。

聖書も確かに死後生き続ける魂はないことを次のように述べています。
「 生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。
その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。」
        伝道 9:5.6

では人は死ぬと完全に滅びてしまい全く希望はないのでしょうか。

そうではないことを聖書は述べています。
その最大の証拠がイエスの復活です。

イエスの復活

イエスは刑柱に架けられる前に次のように述べていました。

「人の子は必ず多くの苦しみに遭い,年長者・祭司長・書士たちに退けられ,かつ殺され,三日日によみがえらされるのです」。        (ルカ 9:22)

「このゆえに父はわたしを愛してくださいます。すなわち,わたしが自分の魂をなげうつからです。それは,わたしがそれを再び受けるようになるためです。
だれもわたしからそれを取り去ったわけではなく,わたしはそれを自分からなげうつのです。わたしはそれをなげうつ権限があり,またそれを再び受ける権限があります。このことに関するおきてをわたしは自分の父から受けました」。  (ヨハネ 10:17.18)

イエスは予告通り刑柱上の死を遂げます。では復活は起きたのでしょうか。
イエスの復活の様子が次のように描写されています。


24:1しかしながら,週の最初の日,彼女たちは,自分たちの準備した香料を携えて,朝とても早くから墓に行った。
24:2ところが彼女たちは、石が記念の墓から転がしのけられているのを見たのである。
24:3そして,中に入ってみると,主イエスの体は見あたらなかった。
24:4彼女たちがこのことで当惑していると,見よ,まばゆいばかりの衣服を着た二人の人がそばに立った。
24:5[女たち]が恐れ驚いて顔を地面に伏せていると,その[人たち]が言った,「なぜあなた方は,生きている者を,死人の中に捜しているのですか。
24:6[[彼はここにはいません。よみがえらされたのです。]]彼がまだガリラヤにいた時,あなた方にどのように話したかを思い起こしなさい。
24:7人の子は必ず,罪深い人々の手に渡されて杭につけられ,三日目によみがえる,と言いました」。
24:8それで彼女たちは[イエス]の言われたことを思い出し,
24:9記念の墓から帰って,十一人とほかの者たちすべてにこれらの事をことごとく報告した。
24:10それは,マグダレネ・マリア,およびヨハンナ,そしてヤコブの[母]マリアであった。また,彼女たちと一緒にいたほかの女たちも,これらの事について使徒たちに告げるのであった。
24:11しかし,こうして話されることは彼らにとってはたわ言のように思え,彼らはその[女たち]を信じようとしなかった。
24:12[[しかしペテロは,立って記念の墓に走って行き,前方にかがんでのぞいたが,ただ巻き布が見えるだけであった。それで彼は,起きた事を不思議に思いながら去って行った。             (ルカ 24:1-12)

さらに多くの人の前にイエスが現れ、復活したことを証していきます。

24:36彼らがこうした事について話していたところ,[イエス]ご自身が彼らの真ん中にお立ちになり、[[「あなた方に平安があるように」と言われた。]]
24:37しかし彼らはおびえ,また恐れ驚いていたので,自分たちは霊を眺めているのだろうと思っていた。
24:38それで[イエス]は彼らに言われた,「なぜあなた方は騒ぐのですか。あなた方の心に疑いが起きるのはどうしてですか。
24:39わたしの手と足を見なさい。これはわたしです。わたしに触り,また見なさい。霊には,あなた方がわたしに見るような肉や骨はないのです」。
24:40[[そして,このように言いながら,自分の手と足を彼らにお見せになった。]]
24:41しかし,全くの喜びのあまり彼らがなお信じられず,ただ不思議に思っていると,[イエス]は,「そこに何か食べる物がありますか」と言われた。
24:42それで彼らは焼いた魚一切れを渡した。
24:43すると彼はそれを受け取り,彼らの目の前でそれを食べた。
24:44それから彼らにこう言われた。「まだあなた方と共にいた時に,わたしが話した言葉はこうでした。つまり,モーセの律法の中,そして預言者たちと詩編の中にわたしについて書いてあることはみな必ず成就するということです」。
24:45そして,聖書の意味をつかむよう彼らの思いを十分に開いてから,
24:46こう言われた。「このように書いてあります。すなわち,キリストは苦しみを受け,三日目に死人の中からよみがえり、
24:47その名によって罪の許しのための悔い改めがあらゆる国民の中で宣べ伝えられる−エルサレムから始めて,
24:48あなた方はこれらの事の証人となるのです。
24:49そして,見よ,わたしはあなた方の上に,わたしの父によって約束されているものを送ります。しかしあなた方は,高い所からの力を授けられるまでは,市内に滞在していなさい」。       (ルカ  24:36-49)


40日間 弟子たちの間に現れます。ある時は500人以上の弟子たちの前に現れ、その後天に昇って行かれます。

イエスの復活を目撃していない他の弟子たちもそうした証言や証拠から、復活が確かなものであるという確信を抱いたに違いありません。
その証拠にローマの迫害の下、命をかけて聖書の音信を広めていったのです。

では復活の恩恵にあずかるのはイエスだけでしょうか。

復活の希望

そうではありません。
聖書によると イエスと同じように霊者として天に復活される方が 14万4千人 その他の人々は地上に甦ってくることが示されています。

20:2 彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、
20:3 そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。
20:4 また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。
20:5 (それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。
20:6 この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。    (啓示20:2-6)

20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
20:13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
20:14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
20:15 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。    (啓示 20:12-15)

神の能力

神はそれらの意図、また能力を持っているでしょうか。

確かに神の言葉である聖書に復活があると記されているわけですから十分意図は持っていると言えます。
さらに次の言葉が人々を復活させる意図があることを証明しています。

6:39わたしにお与えになったすべてのもののうちわたしがその一つをも失わず,終わりの日にそれを復活させること,これがわたしを遣わした方のご意志なのです。
6:40というのは,子を見てそれに信仰を働かせる者がみな永遠の命を持つこと,これがわたしの父のご意志だからです。わたしはその人を終わりの日に復活させます」。  (ヨハネ 6:39.40)

では能力に関してはどうでしょうか。

 私達人体の造りは本当に素晴らしいものです。科学者達は人体の仕組みを研究してきましたが、理解が深まるにつれその仕組みの素晴らしさに驚嘆しています。
 一例として私達の遺伝情報子DNAについて考えてみましょう。DNAは30.8億にのぼる塩基の配列によって私達の遺伝情報を司っています。
 その驚くべき仕組みと、効率の良さに有名な遺伝子学者である村上博士は「こうしたものは偶然には起こり得ない。偉大な理知によって創造されたものである」と語っています。

 考えてみて下さい。もしキーボードを無作為にたたいたとして、簡単な「おはよう」という単語さえ偶然にはできないのではないでしょうか。ましてや長編小説など出来ることはあり得ません。では30億回キーボードを無作為にたたき、しかもその出来上がった文章が世界的な名作になるといったことなどあるでしょうか。そのようなことは1000億年かけても起こり得ません。  
 DNAは30億にのぼる文字列によって人間は人間になるようにプログラムされ設計されているのです。同じように犬は犬になるように、猫は猫になるようにプログラミングされているのです。そのようなプログラムが偶然出来たと思われますか。
  
聖書は確かに私達が神によって創造されたものであることを次のように証しています。
  「エホバが神であることを知れ。
わたしたちを造ったのは神であって,わたしたち自身ではない」  (詩編 100:3)

宇宙に関しても同様ではないでしょうか。
エネルギーが存在するだけの、全くの無から宇宙を生み出したのです。
その偉大な仕組みを研究すればするほど、全くの偶然では出来ないことを科学者は悟りつつあるのです。
全宇宙を創造される力と知恵を持っている方に、死者を復活させる力などないと誰が言えるでしょうか。

高層ビルを建設できる力量を持った会社が、犬小屋がつぶれたので再建してほしいという時、そのような能力を持っていないというのと同じではないでしょうか。



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