メシアの登場と死 その背景にあるもの



時は1世紀初頭、イスラエルの民はローマの支配下にあり、ローマの重圧にあえいでおり、その重圧から解放してくれるメシアの到来を心待ちにしていました。
600年前、預言者ダニエルがメシアの到来を予言していましたが、ダニエルの預言によるとメシアの到来時期は、まさにこの1世紀初頭でした。
それで心ある民は今や遅しとメシアの出現を待望していたのです。

メシアの到来を心待ちにしていたイスラエルの地に預言者ヨハネが現れました。
民はヨハネこそメシアではないかと期待したのですが、ヨハネ自身メシアではないと否定していました。

彼は人々にまもなく真のメシアが到来することを告げ知らせ、裁きから救われるように浸礼 つまりバプテスマを受けるように勧めていました。
               

メシアのために道を整える者としてヨハネが現れ、イエスはヨハネからバプテスマを受けた。

29年秋 まさにダニエルが予告されていたその時、イエスがバプテストのヨハネからバプテスマを受けられたのです。その時、天が開かれ聖霊がイエスの上に下り、彼はメシアつまり油注がれた者となられました。

イエスのその後の行動は実にめざましいものでした。

彼の教えは革新的であり、神に真に喜ばれる生き方とは何かを教え、愛と平和と義を教え諭し示したのです。
メシアであることを明らかにするため、様々な奇跡を行ないました。
病気の人を癒やし、悪霊に憑かれた人を解放しました。
盲人の目を開き、耳の聞こえない人の耳を癒やし、歩けない人を歩けるようにしたのです。
それだけではなく、死者さえよみがえらせました。
ある時は死後4日経っていた人さえ墓から呼び戻したのでした。
嵐を静め、幾千人に食物を与えたことさえありました。

まさにメシア、救い主として行動されたことは明らかでした。


   病に苦しんでいる民が大勢押しかけた。

民の多くはイエスをメシアとして認めメシアに信仰を持ったのも不思議ではありません。

しかし宗教指導者はそうではありませんでした。
彼らにとってイエスは危険な存在でした。安息日の掟を破り、自らを神の子と唱える傲慢不遜な人であり、神を冒涜するものであるとさえ考えている人々がいました。

イエスによって、宗教指導者の教え、態度、行動全てが批判されていたのです。
民からの評判はイエスによって落とされていました。

まさに宗教指導者にとってイエスは除き去らねばならない敵のような存在でした。

また民がイエスをメシアとして担ぎ、ローマに反抗するのも危惧していました。
もしローマに反抗するならローマによってイスラエルは滅ぼされることを誰よりも知っていたからです。

そのためイエスを亡き者とすることを彼らは企み、その機会をうかがっていました。

33年春、過越の祭がエルサレムで行われていました。その機会を狙って宗教指導者は行動を起こし、夜間密かにイエスを捕縛したのです。
その後、総督ピラトの元に連れ出し彼を刑柱上の死に処したのです。

イエスは敗北したのでしょうか。
いいえ、イエス自身は刑柱上で亡くなることをすでに知っていました。
弟子たちにも幾度か前もって話していましたが、弟子たちはなかなか理解できず信じようとしませんでした。

メシアであれば王として君臨し、ダビデやソロモンの時代のような黄金時代を招来させるのではないかと期待していたからです。

しかしメシアが死に至ることはすでに聖書で予告されていました。

例えばイエスが死に処される700年以上前に語られた預言であるイザヤ書53章で、メシアの死が次のように予告されていました。

彼はさげすまれ,人々に避けられ,痛みと病を親しく知ることとに定められた人であった。
そして,わたしたちから顔を覆い隠すことがなされているかのようであった。
彼はさげすまれ,わたしたちは彼を取るに足りない者とみなした。
まことに,わたしたちの病は彼が担い,わたしたちの痛みは彼が負ったのである。
しかし,わたしたちは彼を災厄に遭い,神に撃たれ,苦しみを受けた者とみなした。
しかし,彼はわたしたちの違犯のために刺し通され,わたしたちのとがのために打ち砕かれるのであった。
わたしたちの平安のための懲罰が彼に臨み,彼の傷ゆえにわたしたちのためのいやしがあった。

わたしたちは羊のように皆さまよい,それぞれ自分の道に向かった。
エホバは,わたしたちすべての者のとががその者に出会うようにされた。
彼は激しい圧迫を受け,苦しめられるままに任せていた。
彼はそれでも口を開こうとはしなかった。
彼はほふり場に向かう羊のように連れて行かれ,毛を刈る者たちの前で黙っている雌羊のように,自分も口を開こうとはしなかった。

拘束と裁きのゆえに彼は取り去られた。
だれが彼の世代[の詳細]を思いに留めるだろうか。
彼は生ける者たちの地から断たれたからである。
彼はわたしの民の違犯のゆえにむち打たれた。
そして,暴虐を行なったこともなく,その口に欺きがなかったにもかかわらず,彼は自分の埋葬所を邪悪な者たちと共にし,死に際しては富んだ階級の者と共になる。

しかし,エホバご自身が彼を打ち砕くことを喜び,彼を病める者とされた。
もしあなたが彼の魂を罪科の捧げ物として置くならば,彼は自分の子孫を見,[その]日を長くするであろう。
その手にあって,エホバの喜ばれることは成功を収める。
その魂の難儀のゆえに,彼は見て,満ち足りる。
義なる者,わたしの僕は,その知識のゆえに多くの人に義なる立場をもたらし,彼らのとがを自ら負うのである。
それゆえに,わたしは多くの者の中で彼に受け分を与え,彼は力ある者たちと共に分捕り物を分け与えるであろう。
それは彼が自分の魂を死に至るまでも注ぎ出したためであり,彼は違犯者と共に数えられた。
彼は多くの人々の罪を自ら担い,違犯をおかす者たちのために仲裁に入ったのである。
                   (イザヤ 53章)


この預言通りイエスは邪悪な者たちととに刑柱に架けられ、富んだ人が葬られる墓に埋葬されたのです。

詩編も多くの箇所でメシアの苦しみに言及しています。
例えば詩編22編の中で語られたことは刑柱上で成就しています。


「わたしの神,わたしの神,なぜあなたはわたしをお捨てになったのですか。
[なぜ]わたしを救うことから,
わたしが大声で叫ぶ言葉[から]遠く離れて[おられるのですか]。

わたしの神よ,昼間わたしは呼びつづけます。ですが,あなたはお答えになりません。
そして夜もです。わたしが沈黙することはありません。

しかし,わたしは虫です。人間ではありません。
人びとにとってはそしりであり,民にとっては卑しむべき者なのです。

わたしを見る者は皆わたしをあざ笑います。
彼らは口を広く開け,頭を振りつづけます。

「彼はエホバに身をゆだねたのだ。その方に逃れさせてもらえ。
その方に救い出してもらえ。その方は彼を喜びとされたからだ」。

あなたは[母の]腹からわたしを引き出された方,
わたしが母の乳房に抱かれていたときに,依り頼むようにさせた方なのです。

わたしは胎からあなたの上に投げ出されました。
わたしが母の腹にいたときから,あなたはわたしの神でした。

わたしから遠く離れないでください。苦難が近くに迫っており,
ほかに助けてくださる方はだれもいないからです。

多くの若い雄牛がわたしを取り囲み,
バシャンの強力なものたちがわたしを取り巻きました。

引き裂き,ほえたけるライオンのように,
彼らはわたしに向かって口を開きました。

わたしは水のように注ぎ出され,
わたしの骨は皆はずれてしまいました。
わたしの心はろうのようになり,
わたしの内なる奥深い所で溶けてしまいました。

わたしの力は土器のかけらのように干からび,
舌は歯ぐきにくっついています。
あなたは死の塵の中にわたしを置かれます。

犬がわたしを取り囲み,
悪を行なう者たちの集まりがわたしを囲い込みました。
[彼らは]ライオンのようにわたしの手と足[に攻めかかります]。

わたしは自分の骨を全部数えることができます。
彼ら自身が見つめ,わたしをじっと見ます。

彼らはわたしの衣を彼らの間で配分し,
わたしの衣服の上でくじを引きます。

しかしあなたは,エホバよ,遠く離れないでください。
わたしの力よ,急いでわたしを助けに来てください。

わたしの魂を剣から,
わたしのただ一つの[魂]を犬の手から救い出してください。

ライオンの口からわたしを救ってください。
あなたはわたしに答えて,野牛の角から[救って]くださらなければなりません。
            (詩編 22編)
 
まさにメシアの苦悩の叫びを見いだすことが出来るのではないでしょうか。

またメシア到来の時期に関して預言したダニエルもその預言の中で次のように語っています。

「そして,その六十二週の後にメシアは断たれる。自らのためには何も持たないであろう。

「そして,その都市と聖なる場所とは,やって来るひとりの指導者の民がこれを滅びに至らせる。それで,その終わりは洪水によるものとなる。そして,終わりに至るまで戦争がある。定められているものは荒廃である。

「また彼は多くの者のために一週のあいだ契約の効力を保たねばならない。そして,週の半ばに,彼は犠牲と供え物とを絶えさせる。

                   (ダニエル9:26.27)

このように複数の箇所でメシアの死を予告していました。イエスの死は決して敗北ではありませんでした。
逆に勝利だったのです。

ではイエスの死によって何が成し遂げられたのでしょうか。その意義とは何ですか。なぜ死ななければならなかったのでしょうか。




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