メシアの死  その意義とは?



  イエス・キリストの死と影響

 イエス・キリストが刑柱上で亡くなったことはあまりに有名な話です。
 

 ある人々はその出来事から深い感銘を受けてきました。その証拠にキリストの教えは、最初から反対や迫害を受けたにも関わらず、熱心に伝道がなされ、地中海世界に広まっていったのです。ついに反対していたローマ帝国もキリスト教を認めざるを得なくなり、世界的な宗教となりました。

 イエスの刑柱上の死は、今から2000年近く前の出来事であるにもかかわらず、今でも多くの人々に感銘を与え、キリストを信じる人々は幾十億人とおられます。


 しかし刑柱上の死の意義について深く知っている方は少ないかも知れません。


 ある人は、罪人として刑柱上で処刑されたのだから「敗北だったのではないか」と考えています。確かにイエスが刑柱に架けられたとき、ある人は「神の子であれば刑柱から降りてこい」と主張しました。 
 ではその死は敗北だったのでしょうか。神はイエスを見捨てられたのでしょうか。それにはどのような意義があったのでしょうか。

  
 イエスは前もって自分が刑柱上で死ぬことを知っていました。
 彼はしばしば弟子達に「刑柱上でなくなること そして3日目に甦ること」を予告していました。しかし弟子達はそのような予告を真剣に受け止めることは出来ませんでした。

 
 当時の宗教指導者達はイエスの評判の高さと自分たちを批判しているイエスを憎みました。イエスを捉える機会をうかがっていたのです。
 そしてついにその時が来ました。西暦33年の春4月過越の祭の時、イエスが伝道を初めて3年半後の時でした。

 イエスは弟子達と最後の晩餐を行なったとき、彼らに無酵母パンとぶどう酒を分け与え、無酵母パンは罪のないイエス自身の身体を示し、ぶどう酒は契約の血、つまりモーセの律法に変わる新しい契約を発効させる血をあらわしている事を明らかにします。彼は人類のために犠牲の死を遂げることを弟子達にはっきりと語ったのです。


 イエスはその夜、刑柱上の死が迫っているために激しく苦悩されます。彼は神に嘆願し、出来うるならば刑柱上の死を経験させないでほしいと幾度も祈願し、その祈りは3時間にも及びます。しかし刑柱上の死は神のご意志であり、人類の救出のためにどうしても必要不可欠であることが明らかにされ、イエスは刑柱上の死を受け入れる覚悟を決められたのです。


刑柱上の死という艱難を目前にしたイエスの熱烈な嘆願

  宗教指導者達はイエスを憎み、なき者にしたいと考えていました。ついにその夜イエスを捕らえローマ総督ピラトのもとへ彼を連れていきます。

 総督ピラトはイエスが無実であることを理解しますが、宗教指導者に扇動された群衆の圧力に屈し、彼を刑柱上に架けることを決定します。イエスは、兵士からむち打たれ、いばらの冠をかぶせられ、唾をかけられ愚弄されます。

 

 西暦33年4月3日(イスラエル暦ニサン14日)の金曜日 朝9時に彼は手と足を釘で固定され刑柱に架けられます。その頭上には「ユダヤ人の王イエス」と書かれた板が掲げられていました。

 昼の12時になると、空は一転厚い雲で覆われ日の光は閉ざされます。人々はそのただならぬ様子を見て怖れおののきます。3時頃、イエスは「成し遂げられた」という声と共に息を引き取り、その偉大な一生を終えられました。その時突如大きな地震があり、聖所の幕が裂けます。人々は大地震と陰鬱な空に深い恐れを感じ「彼はまさに神の子であった」と言わざるを得ませんでした。一人の兵士が彼の脇腹を槍で突き刺し、内臓にたまった血と液体が地に注がれ、イエスの予告通り契約のための血が流されたのです。

 イエスの遺体は裕福な信者であったヨセフによって上等の亜麻布で包まれ、立派な墓に埋葬されることになりました。大きな石が墓の入り口をふさぎ、遺体は墓の中に横たえられました。

 では神はイエスを見捨てられたのでしょうか。

 そのようなことは考えられないことです。神の力が明らかにされようとしていました。

 足かけ3日目の日曜日の朝、まばゆい光と共に天使が現れ、イエスの遺体が光に包まれイエスに再び命が宿るようになったのです。偉大な復活の瞬間でした。

 イエスはその後40日に渡って500人以上の弟子達に現れ、自らが復活したこと、再び地に来られることなどを約束され、多くの弟子達が見守る中、天に昇って行かれました。



  イエスの死によって何が成し遂げられたのか。

ではイエスの死によって何が成し遂げられたのでしょうか 

 1,人類の救出に不可欠
   人類は罪と死を受け継ぐ存在であり、そのままの状態では神に受け入れていただく事は出来ませんでした。
   神の基準の中に公正を期す次のような取り決めがありました。「命には命、目には目、歯には歯である。」 (申命記 19:21) 
   人類は完全な命を失ったのですから、神に完全な命を支払うことで初めて神と和解することが出来ました。しかし完全な命を神に支払うことなど人間には不可能なことは明らかでした。
   このような状況に置かれた人類に対して神は大いなる愛をあらわし、神自ら完全な命、つまりイエスを備えられたのです。イエスの死によって人類が罪と死からの解放を得られる道が備えられたのです。
  イエスの犠牲に信仰を働かせる人は神と和解し、イエスと同じように復活し永遠の命に至ることが可能となったのです。
  何という素晴らしい取り決めでしょう。それは神の深い愛とイエスの犠牲的な愛、そして公正を守られる神の大いなる知恵のあらわれでした。
  ですからイエスは次のように述べることが出来たのです。

  「人の子も,仕えてもらうためではなく仕えるために,また多くの人と引き換える贖いとして自分の命を与えるために来ました」。
           (マタイ 20:28)


 2,神に対する忠節の実証
   イエスは人間として生まれる前から存在していました。実のところイエスは神による最初の創造物でした。神の独り子、初子として天で生きておられました。
   その後、多くのみ使いつまり天使が創造されていきました。
   しかしその天使の一部がイエスをライバル視してイエスに敵対し、イエスの忠節さに疑問を唱えるようになりました。
   その勢力は、イエスに対し「命が危うくなるなら神の命令に背くに違いない」と主張してきたのです。神は敵対者達を無理矢理黙らせることもできましたが、それでは問題の真の解決とはなりません。それを実証する必要があったのです。
   刑柱上の死はまさにそれを実証しました。死に至るまでイエスは忠誠の完璧な模範を残されたのです。敵対者達の主張は偽りであることが実証されました。

 3,愛ある王であることを立証 
   メシアは偉大な王になることが予告されていました。イエスは偉大な王としての資質を備えているでしょうか。 
   「友のために命を捨てること、これより大きな愛を持つ者はいません。」とイエスは語られましたが、まさにイエスはそのことを実証され大きな愛を持っておられることを証明されました。
   人類を罪と死からあがなうために自らの命を捧げられたのです。何という素晴らしい愛情でしょう。
   イエスは死に処されましたがどうして王になることが出来るのでしょうか。
   神の力が働き、再び生きる者として復活したからです。そのようなことがあり得るでしょうか。
   考えてみて下さい。 無からこの壮大な宇宙を作り出すことが出来るヤハウェに不可能はありません。復活などヤハウェにとってはいとも簡単なことではないでしょうか。
   イエスは再び命を得ることが出来、天に昇って行かれました。再び地に来ることを約束されましたが、単に人間として来られるのではありません。人類を治める偉大な王としてこの地に注意を払われ、この地を愛と平和に満ちたパラダイスに変えられるのです。
   神の王国の王として人類を治められるのです。刑柱上の死は、イエスが人間の弱さを知り傷みを知る愛情深い偉大な指導者として申し分のない方であることを立証したのです。
 
  イエスの刑柱上の死は敗北ではありません。
  逆にそれは勝利、そうです 究極の勝利の姿だったのです。

  イエスは弟子達に「私は世を征服したのです。恐れることはありません。」と語られましたが、刑柱上の死によってすべてを征服したのです。
  弟子達もその模範に応え、迫害や反対の中ひるむことなく、死を覚悟して伝道していきました。


  そうです。イエスの刑柱上の死は非常に重要な出来事だったのです。

  パウロもその手紙の中でイエスの愛に言及しています。

「 キリストの愛が私たちに迫るのです。私たちは次のように考えているからです。1人の人が全ての人のために死にました。ということは,全ての人は死んでいたのです。 その方が全ての人のために死んだのですから,生きている人たちはもはや自分のために生きるのではなく,自分のために死んで生き返らされた方のために生きるべきであると。」   (コリントA 4:14,15)

  イエスの死によって愛と勇気を得た多くのクリスチャンは命をかけて伝道し、世界的な宗教へと発展していったのです。


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